ゲームデベロッパーを名乗っていいのか

前回、ゲームデベロッパーを名乗っていいのか?という事を書いた。というか途中からなぜかその流れになった。当初は違うテーマだったような気がするが…
今回、そこをもう少し考えてみたい。
そもそもゲームデベロッパーって”会社”に対する呼び名という認識が強い。皆さんもそうだと思うし私もそう。
1人の個人が私ゲームデベロッパーですって言ってるのを見たことも聞いたこともない。
海外でもそうは居ない。STEAMコミュニティでもなかなかか居ない。
マインクラフトの作者、アングリーバードの作者、DOTAの作者(が個人と聞いたが嘘かもしれない)くらいしか知らない。あとかなり古いがテトリスも確か個人だったか。
そんな感じだから、日本、北海道、私の行動範囲で見かけるわけもない。
個人で”ゲームを作ってる人”なら無数にいるだろう。ゲーム系学校の生徒なら年に2,3本は個人で作るわけで。
ここで言っているゲームはあくまで商業ゲーム。その定義ははっきりしていないとは思うが、私が思うにSTEAM GreenLightを獲得するのは1つの基準と言っていいと思う。いろんな意味で。ゲームを作れるだけではなく。
ただ絶対数が極端に少ないだけに(これからもそんなに増えないだろう)、名乗る人もいなければ名乗るのも気が引ける。
今のゲームを否定しているわけじゃない。今のゲームは作りこんでるし、ボリュームもあるし、今の開発システムにはなるべくしてなったとは思う。AAAゲームなんてのは大規模開発システムじゃないと出来ないだろうし。
ただ、昔のようなアイディアが無いと思っている。自分の感受性が枯れたというのもあるとは思うが、絶対的な”元気”というか”本質的に新しいもの”が生まれてこないシステムだなと。
昔(黎明期)のように1人で作るものじゃない。

それと、というか、だからなのかなんかこう・・・一言で言えば胡散臭いのだ。OOOカウンセラー、OOOクリエイター、OOO伝道師 lo l と同じ雰囲気というか。

黎明期のゲームが好きだ。というかそっちのゲームのほうが好き。というかそれしか好きじゃないかも。人間物事を1人でやってもなかなか好きになれるものではない。友達や周りの人がやっているのを見て魅力を感じるもの。

それを差し引いても、黎明期後のゲームはやっぱり魅力に欠けると思う。もう20歳くらいのときに既に飽きてた。

いちおう流行りに乗っかってコンソールマシンは買ったりするのだけれど、やっぱり面白くない。予想通りに面白くない。淡い期待を込めて買うのだけれど。そんな感じで数十年。

前回のブログで書いたように、自分で作ったゲームを売って得られる収入は毎年年間売上のちょうど1%程度。なもんだから、自分でもゲームデベロッパーなのか?何なんだ?という状態。

ゲーム開発を教えてるのか、

ゲーム開発をしてるのか、

CGを教えているのか、

他社のCG案件をこなしてるのか、

どれなんだ?

でもCGエンジニアとしての生活も楽しいと言えば楽しい。

お金が無尽蔵にあったら誰でも好きな事するだろう。私の場合はお金を気にしなくていい環境でゲーム開発ということになるだろうか。でもそういう環境でゲーム作ってもあまり楽しくはなんじゃないだろうかと思う。苦労を知ってこそ楽しさが分かる!良いものも出来ない気がする。これについては別の記事でそのうち書こう。

う~ん・・・肩書の話はこれくらいにして、

もう一回くらいこのネタで記事書けるかな(笑)

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